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長男は陣痛促進剤を使って生まれた。


乳児湿疹がひどかったこと意外は、まあ普通の赤ちゃんだった。

言葉が遅いなあとは(しゃべらないのではなく、意味のないことをずーっとしゃべっていた)思ったが、親などには「男の子は遅いもんだ」と言われて、そんなもんかなあと、心に引っかかりつつもあまり気にせず生活していた。


1歳半検診のとき、言葉の遅れが指摘された。


問いかけに全く答えない。
積み木もなにもまったくやらない。
「新聞を持ってきて とか ドアを閉めて のような簡単なお手伝いなんかはさせていますか?」
そんなこと全くさせていなかった。


言葉の相談とやらを勧められた。

当時息子は言葉を全く理解していないわけではなかった。
なので、相談員の人からは「様子を見ましょう」と言われた。



それまでも、微妙になにか“この子は何か…”という思いを浮かべては消し、浮かべては消し…という生活をしていた。
(言葉が遅いことのほかに、目があまり合わない。こちらが何か言っていてもあまり理解しない。同じことを繰り返す。読んでも返事をしない。おしっこを漏らしても平気でいる。等とにかく微妙ではあった)


1歳半検診をきっかけに、いろいろなところへ相談に行くようになった。

だが、どこへ行っても、「この子はマイペースなだけ」と言われ、私が育児疲れをしているのではないかと、そちらの方を心配された。


早く集団に慣れたほうが良いだろうかと、年少の歳から保育所に入った。


保育所ではまず、靴を履き替えず玄関で寝転んだりしていた。

言葉でうまく感情を伝えられないからか毎日喧嘩をして、よその子を引っかいていた。


保育所には引越しするまでの約1年通った。


保育所に通い始めてから会話が成立することはがかなり増えたが、「いずれ出来るようになりますよ」と言われた靴の履き替えは1年間ほとんど出来なかった。


保育所最後の日に園長先生が「この子は小学校あがるまでうちでお世話したかった。せっかくやっと周りの子に興味を持ち始めたのに…」と言われた。
「え?それまではどうだったんですか?」
いつの間にか教室を抜け出して違う部屋にいた話などは聞いたことはあったが、「せっかくやっと周りの子に興味を持ち始めたのに…」と言う状況はよくわからなかった。

「いつまででも一人で遊んでいるお子さんでした。やっと最近、先生が声をかけたらみんなと外で遊んだりするようになったところだったんですよ。だから残念」


そう言われた。


その言葉を、当時はそう大きくは捉えていなかった。

引越して、幼稚園に入るまでは。


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幼稚園に入園した長男は相変わらず上履きに履き替えることをしなかった。


引越し前はたまにはできていたのに、全くしなくなった。


いつも一人だけ教室に残って折り紙をしたりしていた。
引越し前の保育所での園長先生の「いつまででも一人で遊んでいるお子さんでした。やっと最近、先生が声をかけたらみんなと外で遊んだりするようになったところだったんですよ。だから残念」という言葉が思い出された。


一人で遊ぶことはそんなにかまわないが、みんなが散歩に行って教室に誰もいないのに平気で一人でいる?

少しは人と遊ぶようになっていたはずなのにまた逆戻りしている?


更に、毎日のようにパニックを起こすようになった。
ささいなことでも自分の思い通りにいかないと暴れだす。
落ち着くまで待たないと、興奮している間は何を言っても聞こえていないような状態。


どこに相談にいっても「問題ない」と言われた息子だったが、担任の先生があきらかに疲れていることが解った。


そして、また新たに相談に行き始めたのだが、やっぱり「のんびりさんだけど問題ないでしょう」と言われるのだった。
そんな「育児相談」に月1回ペースで行ってみたが、埒が明かなかった。



何も改善されない。



私は少し焦り始めた。
どこに行っても「問題ないでしょう」の後に付いていた「小学校上がるまでには出来るようになりますよ」の“
小学校入学”が近付いてきているというのに、息子は少しも変わらない。


私はかかりつけの小児科の先生に、「こちらで子どものADHDなどの診断を受けるとしたら(当時はADHDと自閉症位しか知らない)どこに行ったらいいんでしょうか?」と聞いてみた。
「うーん、とりあえず〇〇(市の施設)かなぁ。誰が掛かるの? お兄ちゃん? え~? 問題ないんじゃない?」(専門家ではないにしろ小児科の先生にまで…)


ということで、最初に障害のことを認識するきっかけとなった施設にとうとう、というかやっと、というか行くことになる。


1歳半検診から3年経っていた。


ここでやっと具体的な対処など相談したり指導を受けたりすることになる。


長男についての私の悩みの本質にやっと近付いてもらえたのが「教育研究所」なるところだった。


行き始めたのは年長になったと同時位だった。
もう、小学校入学へのカウントダウンが始まっている。
本当に焦っていた。


まず、息子の状況について話をする。
そして後日テストを行った。


結果、知能指数には問題はないということになったが、定期的にそこに通い、なにか問題が起きてないか、好転したことはあるか等の話と、問題に対してどう対処していくかを指導してもらっていた。


その間、私は悩んでいた。
「この子の身体に問題がないのなら、この子が問題を起こすのは私の躾が甘かったからなのだろうか・・・?」
それまで自分のやり方は厳しすぎるかと思っていた。
「もっと厳しくしないといけないのか?」
「私が悪いのか?」
そう考える苛立ちから、息子を必要以上に怒る(時に虐待に近い)ことが増えた。


屈託なく良く笑って話をしていた息子が、なんだか私の顔色を伺うようになってきた。(当たり前だが、このことを私は未だに後悔している)



そうして半年ほど過ぎたある相談日、いつもの相談員の口から「お子さんのような自閉傾向のあるお子さんは・・・」と、そこで初めて息子に対して自閉という言葉を使われた。
「自閉傾向・・・?」
「ええ、〇〇君といったような自閉傾向をお持ちのお子さんはですね・・・」


へ? 知能に問題ないんじゃなかったの? 自閉症って漫画で読んだやつとは息子は全然違うけど? いや、当てはまることはあったけど。でも、でも、えええええぇぇぇぇ!!!!


その日の相談は「自閉傾向」という言葉以外に覚えていない。
(今思い返すと今まででその日が一番ショックな日だったように思う。
病院で「(広汎性発達障害の)可能性はかなりあるでしょう」と言われた日よりも。)


幼稚園の担任の先生にそのことを話したら先生も
「ええええええぇぇぇぇぇ!!!!!!!」と驚いた。
「確かに補助の先生によく付いてもらってるし、色々してはいるけど、そうは思わなかった・・・。今までそんなつもりで(息子に)指導はしていなかったんで、そうなるとうちもこれから考えないといけないですよね。でも、ええええぇぇぇぇ?! お友達もいますよ?」


驚きの内容はほぼ私と一緒だった。


それは年末も近くなってきた10月のことだった。

偶然にその直後、多分教育従事者を対象とした講演会だったのだろうと思うが、「アスペルガー、高機能自閉症」についての講演会があることを担任から教えていただき、行くことにした。
その講演の講師いる病院が、小児精神科で国内でもかなり有名らしいと聞き、私は小学校入学までに白黒はっきりつけようとその病院に行くことを決意した。



子どもの精神的な病気については専門家がまだ少なく、見てもらえる病院はかなり少ないらしい。

我が家も11月初めに予約の電話をしたが、見てもらえるのは3月ということになった。


小学校入学までに白黒つけることは出来なかったが、「医師に見てもらえる」ということでほっとした。


病院ではテストの結果から
「広汎性発達障害ともいえますし、(診断名の)必要があれば「アスペルガー」とか「高機能」とか付けますが、現時点では“性格的傾向”とも言えるくらい軽いみたいですね。様子を見ていきましょう」と言われた。



そして今に至っている。
20050204090220.jpg



今日1日なんとなく不調を訴えていた旦那が、夜になってとうとうダウンした。
激しい頭痛を訴え、うずくまっている。

その様子に私もちょっと慌ててしまって、救急車など呼んでしまった。

電話した後、息子達に
「お父さん、病院へ行くから。あんた等も付いていかないといけないから用意して」
と言ったら、長男が久々にスイッチ・オンしてしまった。


まず玄関のドアを開けて大声でなにか叫んだ。

「なにしてんの?!」
と聞いたら
救急車が来ないから呼んでるんだよ!
と答えた。

「近所迷惑だからやめなさい!」

と私が言った後には、あっちうろうろ、こっちうろうろ。
竹刀を振り回したり、靴を脱いだり穿いたり、興奮状態。

「〇〇、頼むから落ち着いて。興奮しないで。お父さんは大丈夫だし、
救急車は来ればすぐわかるから」

そう諭してみたが、また玄関のドアをあけて
「なにやってんだよ!」
とかがなってる。

そう、怒鳴るというより“がなる”ので、非常にうるさいのだ。

で、なんだかんだで結局救急車には本人のみで行くことにしたんだけど、
そしたら、長男また救急車の横で暴れる寸前でがなってる。

「どうした?!」と聞いたら「救急車に乗りたかった」とべそかいてる。

父親を心配してのことだと思いたいが、違うよなぁ…

「ちくしょー、ぜってー乗る。ぶん殴る」
とか、とても育ちのよろしい言葉をお使いになってるし。


広汎性発達障害”と診断名は付けられていないくらい軽いとは言われていても、
やっぱりこの子には障碍があるんだ
とまざまざと見せ付けられた気がした。

最近めっきりこういう変わった行動が見られなくなっていたので、
久しぶりに見てちょっと凹んだ。

で、2年生に向けて、担任が変わるかもしれないので、話ができるように、
久しぶりに本なんか引っ張り出して読んでみたりしている。


こういう本は正直読みたくなかったりする。

今後ぶち当たるかもしれない壁が見えるから怖くなってしまうのだ。


でもきちんと読まなきゃあね。
今日の息子を見てそう思った。

ううう。



▼続きを読む▼

母よ。

「〇〇(私の長男)が小さい頃の写真を見てたんだわぁ。
かっわいくってなぁ。…いつ間違えておかしくなってしまったんだか…

って。

だから息子のは“このタイミングでこんなことをしたからなりました”的なもんじゃあないんだって、何度も言ったよな?

そんなに「私の躾が悪いせいだ」と思いたいか。


もう、説明する気も起きん。
勝手にそう思ってろ。


父よ。

「病院に行かなくってもなぁ…。
そんな心配しなくてもオレは“大丈夫”だと思うがなあ」

って。

もうとっくに病院行ってるよ。
夏にカミングアウトした時点ではもうきっちり通ってるよ。

「まだテストの予約が取れなくてはっきりしてないけど“まず間違いないと思う”と言われた」と話したはずなんだが。

それに夏休みの長男に対する母の態度を見て、よく“大丈夫”とか“問題ない”とか言うことができるなあ。

まあ、私を気遣っているんだろうね。

でもね、

とにかく話のレベルが違いすぎます。

長男の障害についての話がどこで止まってるんですか?

あなたがた、娘(私)の話を聞いていましたか?

あの夏の大喧嘩は何の意味もなかったようですね。



多分、今後もうあの二人に息子の障害について説明することは無いな。

頭に入れる気が無いようだ。


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ぴろりんぱ

  • Author:ぴろりんぱ
  • 軽度の広汎性発達障害を持つ長男 中学2年 タロ。
    カンペキを求める男 疑ADHD次男 小学4年 ジロ。
    落ち着きのなさを子どもらしさキャラで乗り切るADHD 小学1年 サブ。

    の3人を育てる母。

    バツイチとなった母は余命を生きる体となりました。

    息子たちと私の『平和かつ平凡(?)』な日々。
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